子どもたちの日々のドラマは、ハラハラ、ヒヤヒヤの連続です。時にはイライラしてもう我慢ならん!と思ったり、この子の人生いったいどうなんねん・・・と心配になることもあるかもしれません。
けど、今はそのままで大丈夫なのかもしれません。子どもたちは、いずれ、自分の目標を見つけた時、大人がびっくりするような力を発揮するのです。
そのことを、自分の人生を通して私に教えてくれた、一人の学童っ子がいます。その少年「K」が、久しぶりに私の家にやってきた時には、30歳の立派な大人になっていました。
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目次
Kとの出会い
私が、社会人となり保護者運営の学童保育所に就職した20年前、Kは4年生の学童っ子でした。私が初めて出勤した日、Kは仲間たちと、学童の隣にある空き地に、人が4人くらい入れる、ものすごく大きな穴を掘っていました。ひたすらに穴を掘る、という遊びだったのですが、「学童って、なんか・・・、ものすごいところやな」と衝撃を受けたのを憶えています。
お前も手伝え!
と言われて、一緒に穴を掘りました。新人の私は、共同作業を通して、Kたちから指導員と認められることになりました。
とにかく夢中に遊んだ高学年時代
学童の真ん前には、川が流れていました。夏休みになると、Kは毎日、仲間とそこで釣りをしていました。エサでは釣れる魚もいたのですが、Kたちがやっていたのは、ルアー釣りでした。何も釣れないのですが、朝から夕方まで、ルアーをとっかえひっかえして、ひたすら竿を振っていました。とにかく夢中なのです。
Kたちが、学童の「テレビの部屋」に立て籠って、洋画のビデオを観ていたこともありました。低学年に、
入ってくんなよ!
とか言って、「ロッキー」や「ターミネーター」なんかを観ているのです。父のビデオを持ってきていたのだと思います。それで、「あのシーンはやばい」とか言って、盛り上がっていたのでした。
中学生になって・・・
Kが中学生になってからも、OBの仲間と一緒に、釣りやキャンプをしました。繁華街の映画館に、映画を観に行ったこともありました。Kたちと観たのは「エイリアンV.Sプレデター」でした。今思うと、指導員が子どもと観に行くものではないと思うのですが、私も若かったのです。
Kは、定時制高校に進み、昼間は学童の近所のスーパーで働くようになりました。時々、へこんだ缶詰や賞味期限の切れた食品をこっそり持ってきて、
指導員は給料安いやろ!
と言って、私にくれました。Kの両親は、保護者運営の学童保育所で、熱心に運営に協力してくれていました。指導員の生活の厳しさを両親から聞かされていたのかもしれません。
学童に顔を見せてくれたKは、尊敬する先輩の話を聞かせてくれました。Kは高校のバスケ部で活躍し、全国大会に出場しました。
私は、もと指導員の妻と第一子と三人で、Kの試合を観にいったりしました。
高校で自分の目標を見つけたK
その後、私は、職場を移りました。そんなある日、Kから電話がかかってきました。
「新しい指導員が、ゴンの世話を全然しとらへん!」とのことでした。
ゴンは、学童の子どもが拾ってきて、そのまま、学童で世話をしていた犬です。その頃は、高齢で随分弱っていました。昔からKは、低学年にはちょっと近づきにくいようなところがありましたが、動物には優しかったのです。怒れるKは、ゴンを家に連れて帰り、ゴンが息を引き取るまで面倒を見ました。
高校生活の中で、Kは自分の目標を見つけました。消防士になることでした。卒業後、公務員試験対策の予備校に通い、実技試験に向けて、トレーニングを続けました。けれど、1年目、2年目と採用試験は不合格になりました。
この頃、Kが、予備校の先生から教えてもらった、マルハナバチという蜂の話を聞かせてくれました。マルハナバチは、太い胴体に対して羽が極端に小さく、航空科学の理論上は飛翔が不可能なのだそうです。しかし、1秒間に200回羽ばたき飛ぶことができるのです。努力は不可能を可能にする、という話でした。
試験に合格して消防士になったが・・・
つらい時期だったと思うのですが、Kの心は折れることなく、自分の目標に向かって、努力を続けました。そして、3年目にして、ついに試験を突破したのです。
Kは、他県の消防士になりました。合格の報告に、わざわざスーツを着て、我が家に来てくれました。やり遂げた男は輝いていました。しかし、Kの挑戦はまだ終わっていなかったのです。
「ようやった」と周りは思いましたが、Kは、それでよしとしませんでした。Kの第一志望は、某政令指定都市の消防だったのです。
それからKは、現役の消防士をしながら、毎年、難関の某市の採用試験を受け続けました。一人暮らしをしながら他県の勤務先に通い、消防の最前線で働きながら、試験対策を続けました。いずれ某市で働く日がくるから、勤務先の他県には引っ越さないということでした。始発で1時間以上かけて勤務先まで行き、出勤時間まで喫茶店で勉強をすることが日課だったそうです。若いとはいえ無茶な生活です。試験には落ち続けました。そんな生活が8年間続き、年齢制限のため、最後のチャンスの年となりました。
土壇場で目標を達成したK
「頑張って落ち続けた。最後の1年は頑張るのをやめて楽しむことにしたら合格した。」
Kは、再び合格の報告に我が家にやって来ました。私が貢献したことなど何一つないのですが、とにかく律儀なやつなのです。前回Kが来た時、幼児だった長男は中学生になっていました。
この、勉強嫌いの我が息子を前に、Kは言うのです。
一番おもろい時やな。
あそべよ!
俺はおかんに勉強しとろとか言われたこといっぺんもないわ
これには、私たち夫婦がドキリとさせられることになりました。その後しばらく、私は、「勉強しろ」と言いかけた言葉をごくりと飲み込むようになりました。
弟Nのこと
Kの弟、Nのことも書きたいと思います。
Nも、私のもとの勤務先の学童っ子でした。定時制高校の頃は、Kもあきれるくらい、「やりたいことばかりやっていた」そうです。Nは、3年前、店長として、居酒屋をオープンしました。
何度か寄せてもらいましたが、Nは、忙しく調理をしながらも、笑顔を絶やさず、若いスタッフに指示を出していました。料理もおいしかったのですが、スタッフの明るさと、細やかな気配りが気持ちのいい、とてもよいお店でした。このコロナ禍でも店を繁盛させていて、驚くべき経営手腕です。
さいごに・・・
目標とする政令指定都市の消防士になった後も、Kは、新たな目標に向かって挑戦をし続けています。
小学生の頃のKは、指導員の言うことを素直に聞くタイプではありませんでしたが、正義感があり、生き物には優しい子でした。そして、とにかく遊ぶ時は夢中になって没頭していました。
「没頭する力」「熱中する力」がある子どもは、自分自身の目標を見つけた時に、まわりが驚くような力を発揮することを、Kは私に教えてくれました。
Kのおかげで、学童のやんちゃな子どものことを、「今打ち込んでいる遊びがあれば、それでいい。それがいつか、この子が夢を叶える力となるかもしれない」と、見守ることができるようになりました。
勉強に後ろ向きだったKのありのままを受け入れ、「勉強しろ」と一度も言わなかったKの両親もすごいと思います。
その後も、Kは、何度か私の家に遊びに来てくれました。ある日の別れ際に、「お互いがんばろうな」と私が言うと、「がんばろうな違うで、楽しもうや!」と、笑顔で諭してくれたK。学童の教え子から、こんな風に元気をもらい「教えられる」日がくるなんて、若い頃の私は思ってもみませんでした。
これからもKの描く人生のドラマを、家族で応援しながら見守っていきたいです!
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