長年愛用していた、250CCのバイクが故障した。バイク屋曰く、人間で言えば、もう手の施しようがない病状だった。
嫌なタイミングだった。半年後に、子どもの受験を控えていた。入学費用がかかる。
良いタイミングだったかもしれない。ガソリン代は高いし、バイクの修理代や整備費用がかさんでいた。
職場では事務作業が増え、明らかに運動不足だった。
思い切って、バイクより安い、少しいいスポーツサイクルを購入することにした。
自転車による生活
最初に感じたものは、街の、様々な匂いだった。そして、穏やかな自然の風。どちらも、高速で走るバイク生活では、気にしていなかったものだ。
荷物が少なくなった。最低限のものだけを持ち運ぶようになり、これまで、余計なものをたくさん身に付けていたことを知った。身軽でミニマルな生活。
整備や修理をDIYで行うことができるのは、大きな魅力だ。よくわからない工賃や部品に、高額の支払いをするストレスから解放された。ほとんど道具はいらないし、必要な道具は安く手に入る。
二酸化炭素を排出しない。燃料費がかからない。ただし、季節を問わずビールがめっぽう美味くなり、酒量が少し増えた。バイクはガソリンで走るが、自転車はビールで走る。
フィジカルにもいいが、メンタルにもいいようだ。電車や車で帰った日は、妻に「疲れた顔をしている」と言われるが、自転車の日は「良い顔をしている」と褒められる。
高校時代の冒険
高校1年生の時に、学童保育の幼馴染3人と一緒に、自転車で四国一周旅行をした。
中3の時に目標を立て、高校生になると、3人で新聞配達のアルバイトをして、自転車代と旅費をかせいだ。
出発前に、友人の父親が、テントの建て方を教えてくれたが、誰も話を聞いていなかった。なので、適当に建てたテントは1泊目で、ポールが折れて使い物にならなくなった。
それからは、毎晩、寝袋で野宿だった。満点の星空の下、砂浜で眠った。
交番の駐車場やバス停で寝た日もあった。出会った人にスイカを食べさせてもらったり、犬に追いかけられたりした。
その夏の思い出が、体に染みついているのだろう。自転車に乗ると、旅の途中にあるような、自由な気持ちになることができる。
さいごに
「ウィズコロナ」の時代となり、キャンプや自転車が大人気なのだという。
新型コロナウィルスは、社会のオンライン化を加速させたが、一方で自然回帰・原点回帰の流れを生み出している。
業務の高速化と、スローライフ。
対照的な変化が、興味深い。
駅と駅という点から点の移動が、自転車によって、自らが描く線の移動となる。
必然、面としての「街」の見え方が、変わる。
社会の変化、それらがもたらす個々への変化が、何をどこに向かわせるのだろうか。
そんなことを考えながら、今日も自転車を漕いでいる。