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指導員のライフスタイル

【GSL vol.7】学童保育指導員とカメラ

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一眼レフとGoPro防水コンデジ(職場の機材)

仕事で写真を撮る機会が多いこともあり、いつ頃からか「良い学童保育指導員は、子どもの良い写真を撮ることができる」と、漠然と思うようになった。

実際に、私の職場の指導員は、経験年数を重ねるにつれて、惚れ惚れとする子どもの写真を撮るようになった。

子どもとの距離感というものもあるだろう。指導員と子ども、お互いの信頼関係があってこそ、子どもの無防備で生き生きとした姿を撮影することができる。

「実践メモ」と「撮影」

職場でも家族でも、川や海にでかけることが多く、防水コンデジは欠かせないアイテム

子どもの遊びや活動のある瞬間を、言葉で切り取る「実践メモ」(注)と、写真や動画で切り取る「撮影」、この二つの行為は近似している。

どちらも、文章力・撮影技術など、技術的な上達によって、表現が豊かなになる。新人の頃は、子どもの様子を文章に落とし込む作業に、大変な苦労をした。

どちらにも、行為の起点には、このシーンを、「誰かに伝えたい」、あるいは「自分が記憶しておきたい」という記録者(撮影者)の思いがある。

その人が、どのような子どもの姿に心を揺さぶられたのか、ということが大事なのだ。

そして、そういった感性・指導員としての感受性は、学童保育の仕事を続けていく中で、磨かれていくものだ。

敢えて、「経験年数によって」とは言わないが、子どもの事実や指導員の意図を、言葉や画像に変換する作業を続けていると、表現だけでなく、行為の起点にある思いが、明確になっていく。


(注)実践メモ・・・個人メモ:実践者が個人的に使っている記録。日常的にキャッチした子どもの様子を書きとめたりするもの。日常的なメモについては、鉛筆やボールペンと一緒にポケットにしのばせている実践者も少なくない。(出典:「新しい時代の学童保育実践」中山芳一/かもがわ出版)

「実践報告」と「ムービー」

スマホの画像はGoogleフォトで管理するとPCでもいつでもアクセスできる

実践メモを積み上げ、まとめたものが、実践記録である。個人や職場として、自らの実践を分析・考察することにより、実践の評価・改善を行うことが目的だ。(引用:「新しい時代の学童保育実践」中山芳一/かもがわ出版

一方、撮影した写真や動画をまとめると1本のムービーとなる。それを、懇談会で上映する取り組みを長年続けてきた。

実践記録は、それを書き起こすこと自体が自らの学びとなるが、懇談会で流すムービーは、学童保育の良さ、放課後の素晴らしさを伝えたい。見せるだけでなく「魅せる」ことを目的としている。それを観た保護者が、かえって不安になるようなものはいけないのである。

そうなると、大切なのは、素材である写真や動画、そして、編集作業である。

この、動画編集作業というのは、その他の業務と比較し、マニアックでブラックである。

まず、通常の就業時間ではこなすことが難しい。そういった作業が好きな者でないとできない。苦手な者が、編集を行うと、多大な時間を費やした割には、面白味のないムービーとなってしまうことがある。逆に、好きな者が作った作品は、観るものに感動を与える。作っている本人が、わくわくしながら、作業を楽しんでいるからである。

懇談会でムービーを上映する取り組みを続けてきて思うことは、豊かな子ども達の生活がそこにないと、良いムービーを作ることができないということ。

そして、豊かな生活があればこそ、それを誰かに伝えたいという指導員の思いもまた豊かになるということ。

カメラとの出会い

学生時代のライブ撮影

カメラと出会ったのは学生時代。

アルバイトをして一眼レフを買った。

当時は、撮影すると、カメラ屋にフィルムを持って行って、現像してもらった。

どんな写真が撮れているかは、現像が終わるまでわからない。出来上がりが待ち遠しく、少し早めに写真を引き取りにいったりしたものだ。

デジカメが普及し、この懐かしき「待ち時間」がなくなった。便利な世の中は、待つことの楽しさが失われた世界なのかもしれない。

友人がバンドをしていたこともあって、ライブの撮影をするようになった。

屋外と違い、暗いライブハウスでの撮影は、難しかった。

光や陰、時間など、今まであまり気にすることがなかったものに敏感になっていった。

新しいことを始めると、これまで使わなかった感覚が磨かれることになるのだと知った。

子ども達は、日々、新しいものと出会い、新しい感覚を身に付けていっている。

子どもの遊びや生活の一つひとつに大きな意味がある。

懇談会のムービーから家族のムービーへ

学生時代、近所で出会った幼馴染と

動画編集作業というのは、大変な負担であり、その作業が好きでない人には、なかなかお願いすることができない。自分が長い間、作業を担ってきた。

ところが、遂に、動画編集を任せられる同僚に恵まれることになった。ムービーメーカーの仕事を後輩に託すことができ、ホッとしたが、手持ち無沙汰になってしまった。

で、思い立ったのが、家族の写真をムービーにすることである。

毎年、妻の誕生日には、1年間の子ども達の写真や動画をムービーにして、上映することが恒例となった。

学童保育の業務で長年培った技術が、家族に返ることになった。私も嬉しいし、家族も喜んでくれている。

新たなムービーメーカーとなった同僚は、YouTuberになる夢があると言う。

最後に、「良い学童保育指導員は、良い写真を撮ることできる」という話に戻る。

高校数学に「命題」という単元があり、「明確に正しい・正しくないと決まる式や文」が、命題である。

写真を撮ることが苦手な(あるいは、カメラに興味がない)、良い学童保育指導員も大勢いるのであって、この文は命題とは言えない。

そもそも、「良い指導員」「良い写真」の定義とは何なのか、ということが問題になるのだが、そんな難しいことは、天気の良い日に、芝生でビールを飲みながらぼーっと考える種類の話である。

ビールを飲みながら思うことは、学童保育の仕事を20年続けてみて、「良い指導員」「良い写真」というのはわからないけれど、自分なりに「良い」と思えることが一番大切なのだなぁ、ということと、自分らしく表現できる手段というのは、色々あったら得だなぁ、ということ。

呑気な指導員LIFEに乾杯。

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